6月30日集会の報道 資料9

 

2018/6/26 06:45神戸新聞NEXT

 

旧優生保護法下の兵庫県の運動検証 30日神戸で集会

 

「幸、不幸を決めるのはそれぞれの価値観。誰かに決められるものではない」と訴える古井正代さん=大阪市西成区

 

 

 旧優生保護法下での障害者らへの不妊手術問題がクローズアップされる中、旧法に基づく不妊手術を促すなどした兵庫県の「不幸な子どもの生まれない県民運動」(1966〜74年)を問い直す集会が30日、神戸市内で開かれる。登壇する古井正代さん(65)=大阪市西成区=は脳性まひの当事者団体の一員として抗議活動に加わり、運動を終わらせた一人だ。「障害を『不幸』と決めつける思想は今も根強い。問題はまだ終わっていない」。古井さんはそう訴える。(田中宏樹、田中陽一)

 同運動では婚姻期や妊娠期、出産後に分けて各種施策を展開。放置すれば障害につながる可能性がある疾患への早期対応や妊婦の感染症予防、母子の栄養指導など現在につながる取り組みも生まれた。

 一方、旧法(48〜96年)に基づく不妊手術を推進する独自の補助制度を設け、72年度には胎児の染色体異常の有無を調べる羊水検査も導入。同様の運動は兵庫から全国へと広がった。

 古井さんは姫路市出身で、3人きょうだいの末っ子。1歳半で脳性まひと診断されたが、毎年のように家族や親戚と遊園地で遊び、大きくなってからは喫茶店や百貨店にも出掛けた。「本当に普通の暮らしをしてきた。決して不幸ではなかった」と振り返る。

 兵庫の運動を初めて知ったのは73年。運動の一環で設置された県立こども病院の労働組合のメンバーから「こんな運動あるけど、どう思いますか」と尋ねられた。その瞬間、頭に血が上った。「なんで勝手に不幸と決めつけるねん。(県の運動は)土俵の上に立つ前に殺せと言っているのと同じではないか」

 ちょうど脳性まひの当事者団体「大阪青い芝の会」の結成に姫路から参加し、事務局長として活動を始めた時期だった。障害者が外出していると「施設から逃げてきたのか」と思われるほど偏見は強く、「今、声を上げなければ」と迷わず抗議を決めた。

 同会の約40人で意見を出し合い、74年2月に県へ質問状を提出。「障害者を不幸と言われる状況に追いやっている原因」を取り除く努力を放棄していると県を非難し、「われわれを『不幸』とする根拠は何か」と迫った。

 県は同年、運動を進める「対策室」を廃止し、名称を「よい子を生みすこやかに育てる運動」に変更した。が、古井さんは「考え方の根底は変わっていない」と感じていた。

 その懸念は40年が過ぎても変わっていない。東日本大震災後、反原発運動の現場でこんな訴えを聞いた。「福島の女性は結婚し、子どもを産めるのでしょうか」。古井さんも原発には反対だが、この言葉の背景には「障害者を産んではいけない、という意識が潜んでいる」とみる。

 「障害者になる可能性は誰にだってある」と古井さん。だからこそ、「どんな子を産んでも育てられ、その子が幸せに暮らせる社会をつくらないといけない」と力を込める。

 30日の集会は神戸市障害者福祉センター(同市中央区橘通3)で、午後1時半〜4時半。大阪教育大非常勤講師で同運動を研究した松永真純さんの講演もある。資料代500円。定員130人。

 自立生活センター神戸BeすけっとTEL078・641・6618

■知事旗振り 議会反対せず

 兵庫県の「不幸な子どもの生まれない県民運動」は1966年、当時の金井元彦県知事の旗振りで始まった。県がまとめた同運動の「5か年のあゆみ」(71年)に、その経緯が詳しく記されている。

 65年、滋賀県の重度心身障害児施設を訪れた元知事は「笑うことも、はいまわることも忘れ、喜びを奪われたこどもたちの悲惨な姿に胸をいためた」とされ、予防策を問われた施設の園長は「親のちょっとした注意や、医師の適切な処置さえあれば、このような不幸な子どもの出生は、かなり救われていたでしょう」と答えたとある。

 同じく「5か年のあゆみ」によると、同運動で「不幸な子ども」と位置付けられたのが、(1)生まれてくることを誰からも希望されない児(2)周産期に死亡した児(3)遺伝性疾患や精神、身体障害など不幸な状態を背負った児(4)社会的に恵まれない児−だった。

 当時の当初予算を確認すると、初年度の66年度に同運動に計上されたのは3180万円で、その後徐々に増額。ピークの71年度には8129万円まで膨らみ、9年間で計約5億2千万円に上った。

 一方、当時の県議会本会議や予算・決算特別委員会の議事録には、目立った反対論は記されていない。県が運動開始2年目に実施した県民アンケートでは「もっとPRする必要がある」「学校や講習会などで不幸な子どもの生まれないための教育が必要」との声も多く寄せられていた。

 

 

集会後報道 毎日新聞2018.7.1

 

 

 

旧優生保護法

障害者、不幸じゃない 「生まれない運動」考える集会 「県の総括と謝罪求める」 神戸 /兵庫

集会で「不幸な子どもの生まれない運動」について解説する松永真純・大阪教育大非常勤講師(右端)=神戸市内で、反橋希美撮影

 旧優生保護法に関連し、県が先駆けて展開した「不幸な子どもの生まれない運動」(1966〜74年)や背景にある優生思想を考える集会が30日、神戸市中央区橘通3の市障害者福祉センターで開かれた。障害者や研究者らでつくる市民団体が主催し、135人が参加。「今も続く『障害者は不幸だ』との価値観を問い続けなければいけない」との声が相次いだ。【反橋希美】

 運動は障害児を「不幸な子ども」とし、その「出生予防」のための施策を推進。精神障害者らへの強制不妊手術や、羊水検査の県費負担を実施した。

 集会では、大阪教育大非常勤講師の松永真純さん(43)が運動の概要を説明した。施策立案に主導的な役割を果たした医師が記した「国家社会の負担を減らし、個人の責任あらざる不幸を除くために、異常児の生まれない施策もやるべき」という文章を紹介。施策を進めた対策室は障害者の抗議を受けて廃止されたが「障害者が(不幸とされることに)『違う』という声を上げたことが重要だった」と指摘した。

 また「優生手術に対する謝罪を求める会」の利光恵子さん(64)は「優生保護法がなくなって20年以上。ようやく被害者の人権回復が始まろうとしている。行政と福祉、医療、教育が一体となって強制不妊手術が進められた仕組みの全容を明らかにする必要がある」と強調した。

 運動をめぐっては、県立こども病院(神戸市)が2016年に発行した記念誌で「ユニークな県民運動」と記載。昨年秋、県は病院のホームページから記述を削除したが、市民団体の「運動の歴史的経緯を明らかにすべき」との要求には応じていない。

 集会の最後では、県に対し運動を検証したのか明らかにすることや、主催団体などと話し合いの場を要求するアピール文を採択した。「神経筋疾患ネットワーク」の石地かおるさん(50)は「出生前診断が広がる今、暴力的な思想を根付かせた県の罪は大きい。総括と公の謝罪を求めたい」と話した。

〔神戸版〕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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