障害者は不幸か?−善意の障害者殺しは、今も昔もー




障害者は不幸か?―善意の障害者殺しは、今も昔もー

 

            わたしたちの内なる優生思想を考える会

 

障害者を殺す思想

 

 7月26日相模原障害者施設殺傷事件から丸2年を迎えた。一人の元職員男性により45人が刃物で襲われ、うち19人が亡くなった戦後最悪の連続殺傷事件。そのまだ2年後だというのに報道は少なく、事件はかき消されたかのようだ。犠牲者を覆い隠す白い霧の中に、あの犯人の主張と行為がくっきりと浮かんでいる。「障害者は不幸を作ることしかできません。」「意思の疎通ができない人間が、生きてても意味がない」だから殺した。

 戦争の時代に世界を席巻した優生学をもとにした優生思想は、障害者や他民族を「嫌悪」することを正当化し、数百万人を虐殺した「ヘイトクライム」を作り出した。人類最悪の虐殺の時代。その経験が私たちの血となり肉となり、戦後もその火種があることを相模原の事件は証明した。あの事件は起きるべくして起き、そういった主張に同調したり、あきらかに否定できないとする言説は少なくない。自分が今その刃が向けられる立場にいなければ、その恐怖を遠いものと感じてしまうが、実は自分のすぐそばに刃を持って「寄り添う」ようにその思想は立っている。

 戦後、それは「優生保護法」(1948年〜1996年)として姿を整え、形を変え抹殺の刃をふるい続けた。全国に先駆けて「不幸な子どもの生まれない運動」が兵庫県により提唱され、公費での強制不妊手術、出生前診断が推進された。旧優生保護法の被害について特集した番組で、障害は「予防できる」と嬉々として話す金井元知事の映像を見て、それが「殺す」ことであることに戦慄を覚えた。差別偏見に裏打ちされた「善意」の暴力ほど怖いものはない。「善意」は勝手な思い込みで、疑いなく実行され、やめさせられれば、なぜ?と不審に思うくらいである。

 

ひとを不幸と決めつける罪

 

 

 

 

 「不幸な子どもの生まれない運動」に対して、「青い芝の会」の障害者達は激しい抗議行動を展開した。そして、(1)「不幸な子どもの生まれない運動」は、障害者の生を胎児の段階から不幸であると決めつけたものであり、今、生きている障害者達をも「あってはならない存在」とみなすものである、(2)「障害者がかわいそう、気の毒」「五体満足で生まれてほしい」などといった考えは健常者の発想であり、障害者差別の具体的な表れである、(3)行政による羊水チェックの推進は、障害者の生存権を否定するものであると主張して、「対策室」廃止、羊水チェックの中止、障害者差別に充ちた県行政の姿勢を改めるよう求めた。この反対運動によって、1974年4月に「対策室」は廃止され、「不幸な子どもの生まれない運動」も「よい子を生みすこやかに育てる運動」に名称変更し、県費による羊水検査も、同年10月に中止された。

 

 しかしそれがネーミングの善し悪しレベルでの受け止めでしかなかったことが、県立こども病院記念誌(2016年3月発行)の、小川恭一名誉院長の寄稿文により明らかになった。その中で小川元院長は、「不幸な子どもの生まれない運動」を「本邦では初めてのユニークな県民運動」とし、開院に際して「このこども病院は、未来を築いていく子供達への贈り物として建設したもので、不幸な子供の生まれない県民運動の一翼を担うもの」であり「兵庫県の大きな誇り」と金井知事(当時)が語ったことを無批判に取り上げ、前述のような歴史的事実をなかったこととし、「不幸な子どもの生まれない運動」が著しい障害者差別であったとの反省も表明されていなかった。「わたしたちの内なる優生思想を考える会」(代表古井正代)は「不幸な子どもの生まれない運動」への称賛を公言してはばからない兵庫県立こども病院と、それを容認する兵庫県に抗議し、記載の削除・訂正を求める、として2017年11月1日兵庫県立こども病院院長 中尾秀人氏、兵庫県立こども病院名誉院長 小川恭一氏、『兵庫県立こども病院移転記念誌』編集委員会各位市、兵庫県知事 井戸敏三氏宛てに抗議文を提出した。

 その抗議文を以下に抜粋する。

 

障害者を不幸と決めつける思想は、自分に返ってくる  

 

 「私たち障害者は、1974年に障害者を不幸と決めつけたことに対して抗議をしましたが、40年近くたった今も、どんな人も生きていけるような社会に変わっていないということがはっきりしています。それは、いまだに障害者の収容施設があり、インクルーシブ教育でなく支援学校があるなど、障害者を地域から隔離するシステムがしっかりとあるということです。

例えば、日本では、今も車いすでは生活できないようなスタイルの建物があふれています。米国等では、アパートを建てる時は、戸数の何割かは車いす用の部屋を作らなければなりません。アトランタでは家を建てる時は、玄関は段差なし、幅は車いすが楽に通れる82cm以上、1階のバスルーム(トイレ)は車いすの入れるスペースを確保、この3つの条件を満たしていなかったら建築許可が出ません。この法律は2007年の段階で、世界中で58の国や自治体で施行させています。(中略)

 未だに「施設」が増えるのは、一生暮らし続けられる安全な建物を「特別視」して(そのほうが儲かることもあり)、一般に普及させようとしないからです。

身体の機能や見た目で「不幸な人」と決めつけ仲間はずれにするのではなく、その人がそのままで生きていく方向を示唆できるような施策を作り、みんなが一生安心して住み続けられるような地域社会を構築しなければならないのではないでしょうか。

 私たち障害者は、生まれた時から不幸だと決めつけられることも多々あります。でも、人はだれでも皆、年をとれば障害者になるのではないでしょうか。老いるということは、機能の低下や認知症の症状が表れたりして、今、「あってはならない」と思われているそのものになっていきます。「あってはならない」と思うその価値観は、自分に戻ってくると思います。(中略)「年をとりたくない」「あんな姿になるぐらいなら死にたい」という、人生の最期に情けない気持ちを作ることになると考えます。

この『記念誌』の中では、「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニーク」と表現していますが、「ユニーク」では終わらない問題です。今からでも、私たち障害者が抗議したことを、しっかりと心に刻みつけ、歴史は歴史としてきちんと残していただきたいと思います。「日本軍『慰安婦』はいなかった」「戦争での虐殺もなかった」「福島の原発事故の放射能被害はない」など、都合の悪いことはなかったことにする傾向がありますが、反省しないままでは、次の時代は、又、間違いを起こすのではないでしょうか。歴史の中に、本当のことを取り入れて、これから未来の子ども達に、間違いは間違いとして認め、謝るべきことは謝るということを見せなければならないと思います。

 そのうえ、福島の原発事故では、いまだに放射能は漏れていて、健康被害もこれからますますでてくることでしょう。それを母体血検査(母体血胎児染色体検査)のような出生前検査で、生まれる前から選別し、世に出さないようにする価値観がここに至っても表れるのではないかと危惧されます。現在、インターネット上では、「低価格で簡単に受けられる」といった母体血検査の売り込みも、既に始まっています。時代が変わっても、兵庫県が先頭をきって「不幸な子どもの生まれない対策室」を作った発想と何ら変わっていません。

人を選別することは差別をつくることです。私たちの時代には、差別をなくさなければなりません。この「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現することこそが、反省もなく、未来もないことにつながります。

 2012年には「障害者虐待防止法」が施行され、2014年には「障害者権利条約」を批准、2016年には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)が施行されました。「障害者差別解消法」では、障害を理由に差別的な取り扱いをすることを禁止し、障害に対する合理的配慮の提供を求めています。障害者差別解消に向けて先頭に立って施策を進めるべき公的機関において、今回の記述にみられるように、差別を助長させることなどあってはならないはずです。

 以下の項目について、12月末日までに、文書にて回答くださいますようお願いします。」

 

(1)兵庫県が過去に行った「不幸な子どもの生まれない運動」について、現在、どのように考えておられますか?

(2)「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現した意図は何ですか?上述の抗議文の中でのべたような「不幸な子どもの生まれない運動」への批判やそれをめぐる経緯を知らなかったのですか。あるいは、知っていたのに無視したのですか?

(3)『記念誌』の中の、「不幸な子どもの生まれない運動」を称賛する記述を削除し、訂正して下さい。以上〈賛同団体〉2017.11.20.現在 59団体〈賛同人〉2017.11.20現在 154人

 

 

 

兵庫県が「十分な説明」をするために、話し合いの場を求める

 

抗議に対し兵庫県は2017年11月29日下記のような文書で答えた。

 

 「不幸な子どもの生まれない運動」については当時、出生前から母胎と胎児を保護するという考え方が背景にあったものの、障害児を不幸な子どもとしていたこと、また、精神障害者等に対する優生手術が行われていたこと(平成8年の母体保護法改正により廃止)については、現在では不適切であると考えています。

 今、県では、障害の有無などにかかわりなく、誰もが地域社会の一員として支え合い、安心して暮らし、一人ひとりが持てる力を発揮して、元気に活動できる「ユニバーサル社会」の構築を目指しています。

 記念誌の「ユニークな県民運動」は、当時、他県で行われていなかった兵庫県独自の施策であることを示す表現として用いられています。

 このことを含め、寄稿文には、病院設立時の時代背景として当時の歴史的事実を記載していますが、その説明が不充分でした。

 このため、こども病院ホームページから記念誌を削除しました。以上

 

 HPからの削除でこと足れりという返答に対し、大きな怒りを感じる。当時「不幸な子どもの生まれない運動」という大きな垂れ幕が庁舎に掲げられているのを目撃した人は多い。そのような形で社会に与えた影響はどのように大きなものだろう。その検証と謝罪を私たちは犠牲になったいのちから問われている。全国に先駆けて行ったあの運動がいかに障害者差別を助長し、多くの人の尊厳と生まれてくるはずのいのちを奪い、傷つけ、障害者(人間)の生き辛さとなり、7・26障害者施設殺傷事件へとつながったか認識しなければならない。40年もの月日を経て障害当事者からの二度目の指摘をないがしろにすることは許されない。

 私たちは再度抗議文を出したが県の姿勢は変わらず、この問題を広め世に問うために、集会「『不幸な子どもの生まれない運動』は終わったのか?」を2018年6月30日、神戸市障害者福祉センターにて関西女性障害者ネットワークとともに開催した。170人の参加者と共催の8団体で再度抗議の集会決議を行い、話し合いの場をつくることを要望し、8月14日県に決議文を提出した。

「不幸な子どもの生まれない運動」についての検証や反省を明らかにし謝罪すること、話し合いの場を持つこと等を求めたのに対して、8月末日

 

「『不幸な子どもの生まれない運動』は、国の施策に則り…総合的な母子保健対策として実施してきたものです。優生手術については、旧優生保護法が当時、法律として有効に成立しており、県は国の機関として、同法に基づく施策を執行する立場であったと考えています。現在、国において、保存資料の有無の確認や、補償を含めた検討が行われているところであるため、その状況を踏まえて、県としても適切に対応してまいります。」

 

という返答であった。

 

 みずからの責任においておこなった「不幸な子どもの生まれない運動」に対するあやまちの責任を不問にして、国にしたがってことを進める、としか言わない責任回避の回答であった。わたしたちの活動趣旨に賛同いただける方は、県に対して個々の意見を伝えていただければ幸いである。(「わたしたちの内なる優生思想を考える」ブログに経緯の詳細掲載。) 

 

意見提出先  兵庫県庁 〒650-8567 兵庫県神戸市中央区下山手通5丁目10番1号

兵庫県健康福祉部健康増進課  電話:078-362-9128 FAX:078-362-3913  

 

 (後藤まとめ)

ロシナンテ社 月刊むすぶ No.572掲載

 

 

 

 

 

 

 

 

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